2009年03月26日

その八「死木」

今溝カナウ写真展「EXIT」08.6於サムライ画廊
*今溝カナウ写真展「EXIT」08.6 於サムライ画廊の一作品を二健が接写しての二次使用
 Original Photo by Kanau. Cast Jiken.


「自己を投げ打つ気迫」

                                          喫茶茶会記 福地

本画像を凝視するにのみいえることは
写真家の技量もさることながら
被写体の死木と同化する気迫の尺度についてである。
この度合いの凄まじさにおいて
この写真の普遍性が語られる。
被写体は他に「基督磔刑新宿独歩'05」なる
強烈なパフォーマンスもみせている。
 http://homepage.mac.com/teduka1/iMovieTheater40.html
この強烈な生命体が死木に鳴りきる
強烈性にセクシャリティを帯びた
波動を感じぜずにはいられないのである。

このような己を投げ打つ気迫が
被写体のジャズ的凄みを担保している。
旦那趣味でジャズは語れない。
ある意味、茶会記福地も他の似非ジャズファン同様
唾棄すべき旦那であるのかもしれない。
そのことをまざまざと覚醒乃至脅迫させる
画像なのだ。

わたしはそのことは自覚しているつもりだ。



posted by samuraisakaiki at 00:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「死人の嘘」

死木
死人

死人になったつもりで
死木に寄り添う

死人は
死木になったつもりで
死木に寄り添う

死木は
死人になった
つもりではない

死木は
死人に寄り添う
つもりではない

潮風が
死木に寄り添う

潮風が
死人に寄り添う

死人は
潮風の潮の香りを嗅いだ

死木は
死人の嘘を見抜いていた


Posted by 二健 at 2009年03月30日 03:05
すべての藝術は真実の鏡であるべきで嘘ではない。
ただし嘘でもある。
いかに人を騙す術も藝術ともいえる。
然るに藝術は人それぞれである。
要はその度合いの強さが問題なのである。
Posted by 喫茶茶会記 at 2009年04月01日 14:50
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