2013年06月04日

その80「遭遇」


相倉久人2013.1.31茶会記
2013.1.31/18:00「相倉久人氏と貴婦人」Photo by Jiken

1月末日の木曜日久しぶりに茶会記にお邪魔した。
偶然にも、当夜ジャズ評論系の会があるとか。
その参加者の皆さんが徐々にいらっしゃった。
なんと、卓越したジャズ評論家のベテランの相倉久人様がおいでなさった。
私は、幸運にも初めてご本人とお会いすることが出来た。
たくさんの書物を書かれているお方で、羨望の眼差しで遥拝した。
手元にある『新宿ピツトイン』は氏の監修本だ。
この本によって当店の長い歴史の初期を知ることが出来た。
淺川マキらが証言していて興味深い。
当店の前身の「新宿ピットイン・ティールーム」は、
1972年(昭和47年)に出来たのだそうだ。
1974.3に、店長の辰野氏(怪物さん)が、
店名を、ジャズ喫茶「サムライ」に変えた。
1〜2年後に経営者が変わって、新社長と縁故が合った私(24歳位)は、
社長の若奥様(ママ29歳)と、「サムライ」を引き継ぎ、素人同士で切り盛りした。
自給は350円で、コーヒーも350円だった。後に50円アップした。
やがてママは引退して、私が任され店長となった。
しかし、1年後にはN.Y.のレストランに就職が決まり、
盟友かつ同齢の緑川氏に「サムライ」運営を託した。
1年半後の1978年末に帰国し、又「サムライ」を引き継ごうとしたが、
ビル取り壊しと相成り、閉店を余儀なくされた。(現在は紳士服「青木」のビル)
私と緑川氏は、「サムライ」を復活させようと社長と掛け合って、
資金を高利ながら調達し、1979.5.27に、
今の、新宿三丁目の東南口・甲州街道沿いの
小さなビルの5階に再開店いることが出来た。今年でもう、ティルーム時代からは41年目、
独立してからは、34年目になった。
何時の時代も、ジャズの店舗の経営は楽ではない。
好きでやってる苦行のようなものだ。
好きこそものの続く也か。
古い形でのジャズ喫茶や飲み屋は時代に淘汰されてしまうが、
茶会記の総合藝術喫茶のコンセプトによる
良質なイベントやライブの文化活動は、
時代のニーズに適合しており、
こよなく愛し、利用されるアーチストに満ちている。
茶会記のカウンターに
お邪魔する都度感じていることだ。


茶会記のカウンターの隅に腰掛けて
おられるモナリザのような貴婦人は、
大層羨ましい借景を戴いている。

※2013.1.31〔日経平均1万1138円 /1ドル90円台後半〕
posted by samuraisakaiki at 19:58| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おー流石二健さん
モナリザレディ=新宿PITINNレディ
ですよ!
土、日、月
にいらっっしゃるようです!
相倉さんにもこの写真みせたいです!

Posted by 喫茶茶会記 福地 at 2013年06月05日 00:43
Posted by 二健 at 2015年05月27日 05:25
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]